波乱の人生を振り返る:まちょまるの成長と挑戦の記録
今回は、まちょまるがどんな人間なのかを
自己分析の意味も込めて書いてみます!
幼少期(将来の夢:歌手)
1996年神奈川県に生まれる。
中卒20歳の母と、一回り以上年齢の離れた土方の父の元に生まれ、アルコールと副流煙に溢れた世界に放り込まれる。
覚えている最初の記憶は、
両親の喧嘩。
いつのまにか離婚して、父親はたまにものを買ってくれるおじさんとなり、
2歳上の姉と、2歳下の弟とともに母に育てられる。
母からの愛情は常に感じていて、
団地で貧しくも楽しい日々を過ごしたことを覚えている。
母は、夜の仕事と昼の仕事を掛け持ちしており、
近所に住む祖母と協力して育てられた。
もちろん、元ヤンの母に育てられたので、
僕自身も気性が荒く、当時から身体が大きかったため、
ジャイアンのような存在となる。
ちなみに、当時は金髪だった。
親から、お前はヤンキーになると言われて育ったので
自分でもそうなると思っていた。
小学生(将来の夢:大工orお寿司屋さん)
小学校低学年で、
いつのまにか新しい父親ができ、
わりかし裕福に。
デブ➕ノッポでクラスのリーダー的な存在だった。
小学校5年生で、新たな父と祖母と親戚が共に住む形で、新築の戸建てを買う。
同じ年に、姉の先輩の誘いでバレーボールを始める。
たまたま入ったチームが、プロも輩出している強豪で、
思いの外、のめり込む。
バレーボールを契機に痩せ始める。
中学校(将来の夢:バレーボール選手orバレーボールシューズのデザイナーor建築家)
地元の中学校に入り、バレー部に入る。
幼い頃に運動しなかったツケがまわってきて、
周りより身体能力が低く、劣等感を感じながら、
ヘラヘラと過ごす。
中1の5月、母親が蒸発する。
中学に入った頃ぐらいから家に帰らないことがあり、
不穏な雰囲気は感じていた。
ある日、家族全員集まり、謎のお別れを告げられ、
以降、家に戻ることはなかった。
おそらく、新築の購入と、
父親の単身赴任を拒み、大手企業を辞めたことで、
買い金銭的に苦しかったことが原因。
そんで、1人血のつながっていない父親も、
家を去り、親戚と祖母と子ども3人で生きることになる。
これが人生最大の大事件。
母親を頼りに生きてきた子ども3人の悲しみは、
我ながら、可哀想と思えるほど。
これがきっかけで、
姉は引きこもりと化し、
弟は陽気さを失い、
僕も後ろ向きな性格となり、人への信頼を失う。
悲しい日々をバレーで誤魔化し、
親のようになるまいと、勉強にも熱を入れる。
そこそこの成績を取り、
バレーもそれなりにこなし、
地元の私立高校に特待生で入学する。
高校生(将来の夢:特になし)
バレーの推薦で高校に入るも、
他のメンバーに敵わないことが、明らかだった。
その中でもレギュラーになりたいと思いつつ、
ふざけながらも、自分なりに必死に日々を過ごす。
スポーツコースで入学したため、
成績がとりやすく、オール5をとり、上のコースに移る。
これが成功体験となり、3年間オール5で終える。
文系の指定校推薦にMARCHがなかったため、
共に暮らす親戚の反対も無視して、
3年の夏から受験勉強を始める。
ガリ勉という名の反抗。
(夏から受験前まで模試は、ずっとE判定。)
独学で朝から晩まで、1日中勉強をして、複数校に合格。
どうやら努力は報われるらしいと学ぶ。
大学時代(将来の夢:海外ボランティアで生きていく)
経済学部に入り、半年適当に過ごした。
日常のくだらなさと授業で学ぶ海外のギャップを不自然に思い、
自分の肌で感じるべく、ボランティア団体に入る。
以降、長期休暇はボランティア団体でフィリピンに滞在し、
日本では軍資金調達のためのバイトと
その団体での活動で、大学時代が一瞬で終わる。
幼い頃から人の下にいるのが好きではなく、
この団体でも代表を務める。
フィリピンで家族と呼べる人たちと出会い、
これまで鬱屈としていた価値観に光が差す。
また、資金力もなく何もしてあげられない現実に辿り着き、
将来はボランティアではない道に進むことを決める。
就職
好きなことをしたいと思い、
好きだった洋服(紳士服)を極めることを決意。
また、祖父母が百貨店勤務していたことを昔から聞かされており、
僕が百貨店に入れば祖母も喜ぶだろうか?と思い、
百貨店の面接を受ける。
人事に気に入られ、特別採用コースで入社。
が、旧態依然とした環境に飽き飽きして、1年で辞める。
より専門性を磨くべく、紳士服業界で有名な人のもとに弟子入りさせてもらう
コロナ禍でイベントを企画運営し、5日間で会社の年間利益の3分の1ほどを稼ぐ。
が、パワハラと休みのない日々に心が病み、3ヶ月ほどで辞める。
ここで病んでいた際に、ガジェマガと出会い、ブログに興味を持つ。
その後、地元に戻り、映画館でなんとなくバイトしてみる。
支配人に社員になって欲しいと言われ、行くあてもないので、承諾。
ついでに、映画レビューブログを始めてみる。
数か月で1000円稼げたが、サイトは消してしまった。
ここでも支配人との折り合いが合わず、心が病み、少し休む。
復帰後、妻と出会い、お付き合いする。
交際時に妻の影響でジムでの筋トレを始める。以降、生活に欠かせない趣味となる。
お付き合いする中で、結婚を意識していたが、
映画館の給与では生きていけないので、転職する。
地元から離れる未来が描けなかったのと、
興味のないものを売ってみたかった、
という浅はかな理由で、地元の専門商社に入る。
ペーパードライバーなのに車を使う営業で、
お金をもらいながら車の運転に慣れるところから始める。
その会社在職中に結婚。
飛び込み営業とやりつつ、ブラックな家族経営の体質にうんざりしながらも耐えていた。
上司が子供が産まれても休まず働く姿を見て、
とうとう転職を決意。
約2年間、一度も使っていなかった有給の消化期間中に、新婚旅行でバリへ!
一生の思い出に。
ビズリーチのスカウトがきっかけで、現職のIT営業に就く。
入って1ヶ月で、妊娠がわかる。
そして、立ち会いのもと子供が産まれ、
現在は、フルリモートで子供を育てながら仕事をしている。
まとめ
ふぅ、長いですね!
ざっとこんな感じの人生です!
中学時代の出来事で、人生に希望を失っていましたが、
その時々で支えてくれた友人や教師に支えられ、
フィリピンで価値観が変わり、
日本で妻と出会い、家族ができた。
というわけで、結果オーライ!
最近は、”毒親”なんて言葉がありますが、いなくなるなんて毒親以上だろ??
と思っていましたが、今に至れているのは、あの経験があるからなので、
極力良い方に捉えています。
今では、概ね理想的な日々を過ごしています。
概ね、ではなく、完璧な!と言うには、
家族をお金の心配なく養う力が必要なので、
独身時代からやっては辞めていた、ブログに再挑戦しています!
目指すは、がじぇまがトーマスくらいの収益。
同じ新米パパとして、勝手に親近感を抱いていますが、
雲の上の人ですね…
家族をお金で苦労させないように、
必死で頑張ります!
メッセージ
境遇に苦しむ人へ、細やかな励ましの言葉をお送りします!
今が最悪なら、それ以上に最悪になることはない!と考えてください!
僕は中学で嫌なことがあって、それ以降も学校でも職場でも嫌なことがありましたしたが、
あのとき以上のことは、後にも先にもないと踏んでいます。
これは思い込みの部分も大きいと思いますが、
それが意外に重要な気がします。
あんなに苦労したんだから、これからはハッピーに違いない!!!
と信じているだけで、なんだか楽観的に物事を捉えられるので、
今がが辛い人は、ぜひ意識してみてください!